真理の追究と囚われてしまうこと

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さて、最近、カルトの本質に興味を持ち、カルト団体系のドキュメンタリーを見ています。

 

ワイルド・ワイルド・カントリー(Wild Wild Country)(Netflix)

1980年代、インドの精神的指導者ラジニーシのコミューンが
アメリカの田舎町に築かれたことから起こる対立を双方の立場から描く。

 

聖なる地獄(Holy Hell)(Netflix)

1980年代に結成された「ブッダフィールド」という
スピリチュアルグループで経験した20年間の出来事を参加者が振り返る。

 

Netflixで字幕付きで視聴できます。

 

ふたつとも素晴らしいドキュメンタリーで、
「反カルト」という主題にとどまらず、
人間のいろいろな側面について考えさせられ、感動しました。

 

私自身、20代のころに、家族関係や人間関係に生きづらさを感じ、

「なぜ自分はこんな不幸に見舞われるのか?」

「「精神的な自由」を手に入れる方法は?」

「この宇宙の真理とは?」

ということを追求して、さまざまな書籍を読んだ結果、
サイエントロジーにたどり着きました。

 

ですので、上記のドキュメンタリーに出てくる、
ラジニーシコミューンやブッダフィールドの参加者の気持ちは
なんとなく理解できます。

 

しかし、
人生の意味やスピリチュアルな理論を追求し過ぎて
精神的に囚われることもある
ので、

真理の追究もほどほどにすべきだなぁと改めて思いました。

 

人生の問題の解決策は、
今、リアルに起こっていることに直面することから始まります。

 

 

自分の人生を再構築するために、
先人の知識に触れるために書籍を読んだり、
セラピーやカウンセリングを受けることが必要な時もあるでしょう。

 

しかし、そういったセラピーやカウンセリングなしには生きられない、とか
宗教指導者の存在なしには人生は無意味だ、と感じたら

・・・

何かが間違っていると気が付くべきです。

 

それは、解決策というよりも、依存や中毒の一種であるかもしれません。

 

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